精一さんの演奏を裏で聴いてて、なんというかその、
例えば、白紙の手紙が届いて、そこになにも文字は書かれてないのに、言葉がすらすら読める。
というような感覚があって、
それは羅針盤の曲を聴いていてもそうで、
精一さんのうたにはなにもないのにすごいものがあるんです。
「あ」からはじまって「わ」「を」「ん」で終わる日本語の文字の組み合わせで
言葉をいっぱい積み上げてプラスに(形に)なっていくということを私たちはきっと行っているんだろうけど、
精一さんの歌を聴いているとそれがマイナスに進んでいくんです。
「成さない」んです。
生きていることにもいえるかもしれないけど、
生きることって何かを積み上げるというより(蓄積していくというより、)生きれば生きるほど全ては崩れながら、
形のあるもの等、残らないというような捉え方で私はいるのですが、
それは私にとってとても健全であり、むしろ、とてもリアリティのあることなのですが。。
心で感じれるものがいっぱいあるけど、心と別の、別ではないか、、肉体をも使って、その成さない凄さを吸って、
ふと、音がやむのと同時に其処には「なにかよくわからない確かな塊」だけが、ほんとに、塊みたいのだけが残ってるから、安易な言い方だけど魔法みたいなものだけをかけられた感覚のみが残ってしまい、ざわざわするんです。
自分の中に常々、気配の温度、過ぎさったものたちと今が混合する余韻の波動というものがあるのですが、
その温度や波動によって毎日を過ごせてるところがあって、
それは手にできないし、目にみえないし、だけど確かなんですね。
山本さんのうたは、聴いているとその温度なんかを感じさせてくれます。
高校生の頃、羅針盤を聴いて初めて味わった、それまで聴いてきた「うた」とは違う種類の、いや、違いなんかなくって実は目線の高さや幅なのかもしれないけど、自分の考えていることは間違ってない!って、思わしてくれたというか。。ざわざわする気持ちを感じさせてくれたうたをうたう人です。
| — | 「うたもの」の「」をとったら。 - Sunrain Records Staff Diary (via atosakav) (via boosted) |